▲ 広島商科大学観音校舎(1970年代)06広島の復興を描いた展示を通じて、多くの人々と対話を重ねる復興をリードする人材の育成へ。「広島」を冠して誕生した大学河内さんは学外で行われている展示会「Pride of Hiroshima展」のアテンドスタッフとして活躍されたそうですね。「Pride of Hiroshima展」は、G7広島サミットに合わせて開催された期間展示のコンセプトを継承した常設展です。多くの企業に残る資料をもとに、広島の復興の歩みをクリエイターによる演出で紹介しています。その中で私は、国内外から来場された方々に向けて展示内容を解説しました。原爆関連の展示は被害の悲惨さを伝えるものが多いですが、本展示は広島の復興や成長に焦点を当てている点が特徴です。「これからも頑張ろう」という前向きなエネルギーを感じてもらえる内容になっています。実際に展示を見て、とても素晴らしい企画だと感じました。広島の復興に向けて人々がどれほど努力してきたのかは、私もずっと発信したいと思っていたテーマ2025年は、第二次世界大戦終戦、そして広島への原子爆弾投下から80年という節目の年です。今回は、学生の立場から平和に関わる活動・研究に取り組む河内さんと近藤さん、平和学について研究されている佐渡国際コミュニティ学部長にお集まりいただきました。皆さんと語り合えることを楽しみにしていました。どうぞよろしくお願いします。本学は、原爆被害からの復興の中で、広島の経済成長を率いる人材の育成という社会からの要請を受け、誕生しました。さて、ここでクイズです。本学の前身は1952年に開学した修道短期大学です。その後、四年制の単科大学として広島商科大学が開学しました。1972年には人文学部増設に伴い改称していますが、「修道大学」などの案がでていた中、「広島修道大学」と校名が決まりました。なぜ「広島」という地名を校名に加えたと思われますか?広島をけん引していくという覚悟や意志の表れでしょうか?その通りです。世界で初めて原爆が投下された都市として、平和への思いを広く発信し続けるため、国際性が求められた時代背景のもと、大学名に「広島」を冠することになったと聞いています。そうした事情があったのですね。学生のお二人は本学で学びながら、平和に関連したさまざまな活動・研究を行っていると聞きました。今日は、それぞれのお話を伺いたいと思います。佐渡河内矢野矢野近藤矢野佐渡
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