広報誌「TRUTH」2024年度春夏号
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私のターニングポイント大学時代の思い出は2つあります。1つは国際政治学科での学びが大好きだったことです。講義が楽しくて卒業所要単位を満たした後も履修科目を増やし、4年生ではゼミを2つ掛け持ちし卒業論文を2つとも完成させるほど、学びに没頭していました。もう1つは、ニュージーランド・クライストチャーチへの短期語学留学です。アルバイト代を貯めて費用を準備した甲斐あって、6週間の留学では異文化を肌で感じながら、語学力もかなり向上しました。15年経った今でもホストファミリーとは連絡を取り合う仲で、新婚旅行でも彼らの家に泊めてもらいました。妻とドイツ・ベルリンを旅行し、戦争遺構を巡るツアーに参加したことが大きな転機でした。そのツアーでは自分より少し若いガイドの方が、当時の様子を一生懸命に説明していました。その姿を見て、「いま私は戦争について学ぶためにベルリンに来ているけれど、一方であの原爆の事を詳しく知らない。広島を学びに来た人達に、自分からは何一つ8月6日の事を伝えてあげることができない」と痛感し、心に引っ掛かっていました。そのため、被爆体験伝承者*養成事業の存在を知った際には、居ても立っても居られない気持ちで応募しました。被爆体験伝承者の研修期間は概ね2年間を要しました。私は当時6歳で被爆された梶矢文昭さんの証言を伝承する事となり、研修を通じて直接お話を何度も伺いました。直接は見ていない惨状を目に浮かべつつ、あの日の記憶に思いを馳せながら、原稿を丁寧に書き上げていきました。研修時は転勤で栃木に在住しており、幾度も広島に出向いて研修を受けるのは大変でしたが、約1万字の原稿を基に計3回の講話実習を行い、全てが広島市から認定された際には達成感がありました。私は、2023年12月に初めて被爆体験伝承者として講話をしました。講話の数日前から何度も練習をくり返し、また質問に備えて学び直すことを心掛けています。遠方から資料館にお越しになった方にとって、生涯で1度きりの被爆体験伝承講話かもしれないと思うと準備を疎かにはできません。 伝承者として私は、「自分事として捉えて伝える」ことを意識しています。私が語り継いでいく梶矢さんは、当時6歳だったあの日、街中が燃え上がりそこら中で断末魔の叫びが響く中、地獄のような広島を1人で必死に逃げ延びて助かった方です。その惨状を私が自分事として受け止めて伝える事で、きっと梶矢さんの思いは聞いている方に届くのではないかと思っています。▲恩師の矢田部先生、ゼミの友人と(写真左:沖本さん)*被爆体験伝承者…概ね2年間の研修の中で、被爆体験証言者から被爆体験や平和への思いを受け継ぎ、それを語る活動。被爆者の高齢化が進む中、被爆体験を語り継ぐために広島市が平成24年度から養成を始め、平成27年度から活動を開始しています。今はまだ活動を始めたばかりですが、今後は梶矢さんから受け継いだ講話を英語に翻訳して、海外から広島に来て下さった方々に伝えていきたいと思っています。きっと広島修道大学の国際政治学科で4年間「世界に目を向ける大切さ」を学んだ経験が、今度は私に「英語でヒロシマの事を伝えなきゃ」と諭しているのだと思います。学生時代を振り返ってみると、大学で学んだ全てが今の私の糧になっています。英語と国際感覚を磨いた事で今の仕事につながり、海外駐在も経験しました。また、学生時代に学んだ国際政治と近現代史への関心は年を重ねても増すばかりで、それが被爆体験伝承者へと導いてくれました。人生は一度きりです。「点だと思っていた経験が、後で振り返るとつながっている」というのは有名な話。どうしようか悩んだ時は、思い切って新たな経験に挑戦することをお勧めします。修大で沢山の素晴らしい教授や仲間に出会えた事です。俯瞰して私を諭してくれる教授や、国際政治を真剣に語り合う、常に明るく熱い親友など。まさしく「出会いは成長の種」です。Hiroshima Shudo UniversitySHUDAIBITO no HISHO12詳しくはこちらGRADUATES MESSAGE Vol.50活躍する卒業生ドイツ・ベルリンでの転機学科の学びと留学2年間の研修期間被爆者の思いを伝える被爆体験伝承者としてのこれから私は伝承者としての活動を通じて「ヒロシマ」について深く理解できていなかったことに改めて気付かされました。広島で起きたあの日の惨状は決して忘れて良いはずがありません。だからこそ、広島で育った者として、小学生の頃から何度も聞いてきた被爆者の方々の思いを、今度は私が伝えていく番だと心に決めています。修大生へメッセージ修大人の飛翔

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